2007年8月25日付、北海道新聞・夕刊(6版・9面)にとても興味深い記事が載りました。
『観光船眼前で捕鯨』との記事、要約すると、北海道・羅臼沖で、「クジラウォッチング中の観光船の目の前で、捕鯨船のツチクジラ捕獲作業が行われていた」ということです。
「客『気分悪くなった』」、「水産業者『接近は危険』」と副題されています。
羅臼町長・脇紀美夫氏は、「『お互い気を付けてほしい』として事実関係を調べる考え」とのこと。
さあ、これはどうだ。実に、むづかしい問題だ。捕鯨という文化の是非を問う大問題だぞ。
捕鯨を非難する人は、肉を食べないのか?、これが私の疑問です。屠殺は世界で満遍なくおこなわれています。牛や豚は家畜だが、鯨は野生生物だというのなら、それは神様が許してくれているか否かという単なる宗教問題、多くの日本人にはそういう宗教感はありません、下手なグローバリズムを押し付けてくれるなという話になる、と私は考える。
「周りの海は血で赤く染まり」という屠殺の現場を見て、町の生活者が気分を悪くしたというのは、屠殺という現実を知らなかっただけという単純な話。血を見て気分を害するという心情は十分理解できるけれど、私たちは実際はそうしたプロセスを経た肉を食べているわけです。今回のニュースは、都市生活者は実はキレイごとを当たり前として疑うことを知らないという事をあらためて印象づけた、そのような出来事に思えます。キレイ事で済まされないという、第一次産業の現実に気がついていない、という。
人は、動物や植物の命を「いただいて」生かしてもらっている。だから、食事前には「(命を)いただきます」と言います。
楽しみを求めてやってきた観光客には残酷な現実を見せないでという、エンタテイメントと現実の断絶、いいのかな、それで。羅臼という街は、観光地であると同時に、水産業の町でもある。命をいただくという現実を、背負っているのではないか。
羅臼町長・脇紀美夫氏の「『お互い気を付けてほしい』の言は、水産業者は屠殺の現実を知らない街の者の目の届かないところで生産をしてほしいと言わんばかりだ。いや、町長の苦しい立場はわかるよ。わかりますよ、でもね。
水産業者の社長さんも、命をいただく最前線で働く立場をしっかりと発信してもいいと思う。生き物を殺すのはかわいそうです、でも、私たちはそうして命を繋いでいるのです、という当たり前の事。
これは、とっても、むずかしい問題です。この問題は、真摯に受け止める必要を感じます。なぜなら、それは「命」を考える問題だから。
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